新・琉球古道を歩く

写真・文 富山義則/フォトグラファー


とみやまよしのり

1953年生まれ。フリーランスフォトグラファーとして出版を中心に数々の仕事をこなしながら、自然や歴史をテーマに数多くの写真展を催している。1970年代から90年代にかけて人気を博したカウンターカルチュアを代表する「別冊宝島」の表紙や「田舎暮らしの本」などを手がけ、2016年には、2008年に生産が中止となった期限切れのポラロイドフィルムを使った写真集を出版するなど、この斬新な試みも注目される。

第四十五歩 島添大里グスク

沖縄が琉球王朝に統一される以前の政治、経済の中心地として

大いに繁栄していたのが南城市大里の一帯だったそうです。

平成の大合併の前は大里村でした。

 

島添とは島々を支配するという意味があるそうですから、

どれだけ強大な力を持っていたかわかります。

しかし、初代琉球王の尚巴志に攻め落とされてしまいました。

 

その後、尚巴志はこのグスクを拠点にして三山統一を成し遂げて

琉球王朝へとつながっていったのですが、現在は整備された大里城址公園

の一角に石積みが残されているぐらいで、昔の面影はほとんどありません。

 

とはいえ公園の高台にあるグスク跡を歩いていると、カニマン御嶽、チチンガーなど

は残されているので当時の様子がちょっとだけですが感じられるグスク跡でした。

 

第四十六歩 糸満市の具志川グスク跡

糸満市の真喜屋にある具志川グスクは岸壁にたつグスクです。現在は発掘調査中ということなので、石垣が部分的に残っているだけでしたが、調査が終了してグスクが復元されたら面白い観光資源の一つになるかも知れません。

 

じつは沖縄に同じ名前のグスクがうるま市、久米島、そしてここ糸満市の3ヶ所もあるのです。諸説あるそうですが、ここ真喜屋の具志川グスクは久米島から来た按司によって作られたという説が有力らしい。ということは久米島の具志川グスクの方が先に作られていたということになるのでしょうか。そこで久米島の具志川グスク跡を見に行ったら海岸沿いの崖上に作られていたので、なるほどと思いました。

 

さて、糸満の具志川グスクですが、驚いたのは敵に襲われた際に断崖を伝って船で逃げられるように脱出口が用意されていたことです。南山、北山、中山が激しく覇権争いをしていた当時の政治状況が垣間見えてきます。沖縄にも群雄割拠の時代があったわけです。

 

これまで琉球史を感じながら各地を訪ね歩いてきましたが、亜熱帯の自然の中に残された遺跡には今なおウチナーンチュたちの浪漫に満ちていたのでした。

 

 

今回で「琉球古道を巡る」は最終回になります。次回からは沖縄に数多くあるビーチを紹介していきます。有人島、無人島のビーチや浜を探し歩いて見つけた絶景ビーチ、なかなか辿り着けない隠れ家ビーチなどなど、沖縄ビーチの魅力が満載です。ご期待ください。

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